山のおもしろ歴史いろいろ
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  • Miyakawa Kaneyoshi

トロッコと強力の話

 遅れての掲載、申し訳ありませんでした。その1として最初にトロッコと強力(ごうりき=生活物資等の荷上げのプロ)のお話をいたします。

 

 私は南アルプスを中心的に約50年登ってきましたが、初心者の頃は芦安村→広河原(北沢峠)のコースが主でありました。その頃から当分の間はマイカーで広河原まで入れたのです。そのまま奈良田に抜けて帰った記憶です。

 今思えば、戸台口から長い沢歩き(水はほとんどありません)で丹渓山荘に辿り着いた気分は、今でも忘れる事はできません。ちなみに現在、丹渓山荘は廃屋です。そして、大平山荘→仙丈ヶ岳→両俣小屋→北岳→北岳稜線小屋そして下山。現在は主に静岡側の畑薙第1ダムを起点として入山しております。

 しかしながら、実は一番多く好きな入山路は、早川町(田代登山口)から転付峠(デンツクトウゲ)コースなのです。当時は田代発電所に駐車できたのですが、現在は手前に駐車して橋を渡り、尾根に取付き、途中から従来のコースと合流する様になっております。そして転付峠より南アルプスをほぼ全域を踏破できるのです。そして最後に二軒小屋(現在は休業中の事、事前確認必要)に泊まり、翌朝に二軒小屋特製岩魚弁当を転付峠の天然水で朝食を摂り、下山するのが最高の楽しみでした。(最高に美味しい弁当なのです。)


 

 前置きが長くなりました。お話はその早川町と転付峠、二軒小屋にまつわるお話です。最盛期の二軒小屋には700人以上の人々が住んでいたようです。(主に林道造成と森林伐採運搬)

※ なお後筆いたしますが、トロッコのできない時代に特殊な方法で木材を下流まで運んだ実話を掲載いたします。


 さて、700人以上の人々が生活するとなりますと、必要な物が沢山あります。まず、生活物資は強力達が運ぶと思いますが、現地に於いては学校、集会所、床屋、居酒屋、販売所他、いろいろ必要にされたと思いますが、更には、甲斐・信濃・駿府地方からも古手売り、薬売りはじめ、多くの行商人が交易の道を切り開き、また旅芸人等が行き来したとの事でした。日本中多くの峠あれど湧水があるのは珍しく転付峠の天然水は、多くの人々の手助けになったと思います。


 次に強力さんの話ですが、当然の様に強力集団ができる(あるいは協力組合なものが結成される)わけですが、さらに早川町には日蓮宗総本山の守護神である七面山を有しており。さぞ強力は必要とされた事と思います。地元の方に聞いた話ですが、何時の頃か(多分、昭和初期頃と思われます。)早川町近隣の温泉旅館の大広間に数十人の白装束姿(凛々とした強力達の姿)が集結をして(多分、新年会か忘年会)多くの芸者衆を並べ立て、それは壮大なお座敷酒宴であったと、知る人ぞ知る早川町の語り草になっているとの事です。


 そして、早川町には何十キロもの長いトロッコ軸が敷かれていたとの事です。奥山深く、どうして危険な岩肌に建設できたのか不思議でなりません。現在でも多くの山奥深くにトロッコ跡の名残を見る事ができます。私の動画「寸又川左岸林道」でも相当深く入り込んでおりました。更には芦安方面にもいくつかの痕跡を見る事ができます。

 

 ちなみに、林道開発に於いては、広河原・奈良田・戸台~北沢峠のスーパー林道はもちろんなのですが、大倉財閥の林道開発は奈良田越あたりまで、大井川東俣は池の沢小屋の先の方まで開発されておりますし、寸又川左岸林道は概ね柴沢小屋の先10キロ位まで合計50キロ位の開発がされております。(私の足でみた限りです。)更には、南アルプス全域を見渡しても、多くの作業小屋が廃屋に今でも残っております。

 

 主にそれらは、林道・林業開発、ダム砂防工事、狩猟小屋、魚小屋、炭焼小屋跡等で、ぜひ登山と同時に昔のロマンに触れてみてはいかがでしょうか。また、既に消滅して幻の道となっている場末の山域にも、そして空白の地と化した秘境の地にも、至る所に山の神が祀られています。天然水を体の奥まで沁み入れて、手を合わせ、一人空白の時間を作ってみるのはいかがでしょうか。

 

日本アルプスには、日本文化そのものが存在しているのです!!

 

 最後になりますが、私の好きな映画の一つに「飢餓海峡」(原作は水上勉の推理小説)があります。映画の前編部に主人公がトロッコに乗る場面があります。日本全国至る所にあったと思われるトロッコ軌道です!!

 

※ その2 次回は、江戸時代からあった興味深い話とおもしろ話

※ その3 私の推薦 南アルプス10コース(半分は変わり種コースです)

※ その4 私の体験温泉30とお薦め10選 〈お楽しみに!〉

※ その5 後述するとしたポイント話と私の体験した奇っ怪な体験と素晴らしい体験

      そして最後に衝撃的な実話で締めくくります!!


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魅せられた 南アルプス

私は茨城県神栖村(昭和41年当時)の出身ですが、最初の登山は富士山登頂の経験からです。 東京オリンピックの興奮が冷めやらぬ2年後の夏(昭和41年)中学生最後の夏休みに、友人のHとIの3人の自転車の旅でした。旅の目的は富士山の登頂です。 国道6号線(龍ヶ崎市)までは砂利道でした。 1日目は、東京・板橋(親戚泊)。 2日目は、高尾山(甲州街道沿いの沢泊・上下2枚のシートを棒で建てたものでした。) 3日

 

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